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2012.03.24

さて、人事査定の季節だ

 うーむ、過去のエントリーをみてると、2011年は平和だったらしい。。2010年も平和だったらしい。2009年は陸の孤島に左遷が決まって結構ブルー。2008年がヤバい感じだね。景気と共の俺の人事査定も浮き沈みしてるんのか?。書き続けて来たこの日記も結構停滞気味か。。というか、精神が安定してる時はそれほど書く事がないってことかな。便りがないのは無事な知らせとかそーゆー。

 さて、日本の企業の未来はヤバいだろと、それは皆が気づいている事で、だからこそ、英語を勉強しなくては・・とか、自分磨き(笑)って、これはちょっと意味が違うけど、色々やってる訳だ。んで、そういう事をやりつつ、今居る職場を使ってなんとかできないものであろうかとも考える。それは、個人で起業するよりもスケールメリットが得られるから。また、自分ができない(苦手な)営業部門や経理部門の人間も居る。人は専門家するので、結果効率が良い。ただ、日本企業の悲しい性か、アメリカの起業のような合理化主義ではないので、問題抽出も曖昧だし、効率化するための視点変動もなかなかできない。今までの路線の延長でしかない。困ったものだ。。そう言った面では個人で動いた方が効率は良い。典型的な社畜タイプでなく、ある程度何でもできる人なら特に。

 そんな中、人事査定の一環として論文を提出させられた、内容は現職場の改革案を出せと。そして、その中身の評価基準は、新しい視点が有る事、広い視点を持っている事、自分の役割を認識した上での事、自分の専門性がいかせる事、など、中には矛盾した項目も含まれているってのが、所詮人事の作る査定論文か・・と言う感じだが、まぁそういう論文を書かされたわけだ。

そこで、うーんと考えながら、すべての条件にマッチする課題を抽出し論文形式にまとめると、エンジニアにしてはそこそこ文章も書ける方だと思っている(思っていた。過去形か・・orz)ので、論文を書くってことに関しては、特にえーとかそういうのは無い。ただ、新しい視線ってところに、突っ込みたかった。だって、あまりにも既存路線の延長でしか物を考えられない人が多いから・・・。そこで、新しい視点として、会社の組織をソフトウェアのシステム設計、アーキテクチャ設計エンジニアの視点でみて、効率的に回っているのか、システムのボトルネックはどこなのかと、探してみる。というか、頭の中が元々システム思考で、世の中はソフトも宇宙も組織も構造は皆一緒であると、そして優れたシステムのみが淘汰されずに生き残っているのであると。これが、俺の基本思想なので、それに基づいて論文を書いた訳。

 論文の締め切りは正月明け。正月書けよと、それ業務じゃねーのかよ!、給料払え!とか思いながらも、結構まじめに考えて、会社組織をリファクタリングして、一番欠けていて、トータル効率が上がるボトルネックを探し出した。探し出して、その解決策を書くと確かに改革案になるんだけど、俺の思想がそれを許さない(笑)。システム化していくのが俺の思想なので、"そのトータル効率が上がる方法を探し出す視点の持ち方と、それを解決してシステム化していく方法"を論文にした。

 さて、結果はというと、ビジョン0点、新しさ0点、専門性0点、実現性0点、貢献度0点、文章の読みやすさ1点。1項目5点ね。君この会社に向いてない、辞めろよ。くらいな勢いで全否定された。

 しばらく、なんだよ。どういう事だよ。貢献度とかはまぁ具体的ではないので、しょうがないかなとも思うんだが、新しさ0点。文章力が5点中1点!?。俺ってエンジニアの中では結構書ける方だと思ってたんだけどなぁ、雑誌に書いた事も有るし・・・。これって、君はこの会社に向いてません。辞めた方がいいです。ってことか?。とか、じゃぁと@typeを覗いてみたり、リクナビみてみたり。起業するか?。と新しいサイトのアイデアなんかを設計し始めたり・・・。(風力発電システム面白そうだな・・・。今度求人あったら応募してみようかな。)

1日経った今気がついた。論文の評価者はグループ管理クラスの人間なのである。つまり、この停滞感をいつまでたっても突破できない頭の固い人達なのである。視点変動やらディープダイブやら、システム置き換え論だったり、そういう事が理解できるなら、この会社はこんな状況になってないわけだ・・・。しまった、内容が高度すぎた。何を言おうとしているのかも、おそらく全く理解されてない・・・。まじめに取り組みすぎた。評価者のレベルの低さを考えるべきだった。まず最初に、この査定システムの分析をするべきだったのだ。俺って馬鹿。


 そんなわけで、いまの会社での俺のキャリアは終了を迎えた訳である。


 さて、もう会社の査定はどうでも良くなって来たので置いておいて。この世界情勢、日本の社会状況の中での、自分のリスクヘッジを考えてみよう。日本の普通のサラリーマンは1つの会社に属しているのがふつーであり、まだまだ終身雇用の色合いは強い。日本の場合、就職とは"職に就く"ではなく、会社という村社会に入る事と同義であるため、新卒採用であぶれると取り返しが付かなくなると。現状、それはその通りなんだと思う。だって、転職しようと考えた場合、新しい職場での人間関係が一番不安要素だもの。"職"に就いているのならば、どこの会社にいても問題は無い。日本の場合職に就くではなく、会社に入るので、その会社の文化や作法が重要であり、一つの職が同じ物にならない。最近よく言われる同一労働、同一賃金も、そもそもの理由としてこれがある。職として確立されているならば、その職をこなせる人の賃金は同一になるはずだが、そうはなってない。大阪市バスの年収は700万、私鉄系バスは550万っていうのはそういうことだ。エンジニアを職として、そのレベルの高い低いで給料をもらうのではなく、会社に所属して、村社会でなんとかしようよ、っていうのが日本の企業文化なのである。

 で、だよ。そんな村社会にいても、企業体としては世界の資本主義市場にさらされていて、その企業の価値はを世界で認めてもらわなければならない。そうしないと、限界集落になる(笑)。村の中に居る時は、良いが、視点を変えて、世界規模で自分のポジションをみた場合、1つの会社に所属し、職を持たずにただのコミュニティの一員として生きているのはあまりにもリスクが高くないかい?。村から飛び出した場合、あなたは何ができるのですか?。「XXって会社にいてXXやってました。」って、これ、村思想から出てないよね?。村から別の村に移ろうとしてるだけだよねぇ?。そうではなく、「こういうことができ、これだけの成果物を上げる事ができます。」と、こう在るべき。

とはいっても、そうはならないわけですよ。それが日本が落ちていく理由だと思うんだがな。すると、1つの村社会にだけ所属して、リスクヘッジするには、自分の能力を世界市場に照らし合わせて構築していく必要がある。いまやってる村社会の役を分解し、自分はXXとYYとWWができ、XXは世界で通用するはずと。であれば、今居る村が限界集落になり、世界市場に出なければ無かったとしても、職を意識しているので平気。な気がする。

それとは別に、1つの村に所属し、崩壊したら0だよな。と考えると、2つの村に所属し、崩壊しても半分は当面残る。としておいた方が良いのではないか?と、常々思っていた。それもあって、どうにか副業をできないだろうかと、色々考えてはいたのだが、メンドクサクてねぇ・・。俺も日本の村社会にどっぷり浸かっている1人なのである。それが今回、今いる村から村八分くらったので、再び考える様になった。そのちょっと前にYahooニュースにでてたのがこれ、「会社にしがみつかない」ワークスタイル。これによると"東日本大震災以降、「週末起業セミナー」の参加者が急増してる。" そうだ。さらに、"会社での成績が上位2割層に入るような優秀で問題意識が高い人ほど、現状に強い危機感を持ち、週末起業などの社外活動を開始している。企業の耐用年数が短くなっている現代に、一つの会社だけで働き続けることは丁半博打のように危険な賭けだからだ。"。だって。言ってる事は同じ、最初の"会社での成績が上位2割"ってのがムカっとくるな。俺は"無能!"の烙印おされちったしな。でも、日本のサラリーマンもかなりが気づき始めて、行動に起こしているのが興味深い。yahooニュースに載っちゃうくらいだから。

 やべぇ、世代間ギャップなんとかしろよとか、だらだらと村社会に浸って、文句言ってる間に取り残された。。まぁいいか。そんなことしても、30年後の日本沈没は変わらないだろうしな。この日本企業の村化って消えないよね。ベンチャーでも村な匂いがプンプンする。職場然とした職場って作れないだろうか。といいつつ、今の会社ではもう打ち止めになっちゃったので、週末活動しないとなぁ。。

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